「ネトフェミ」は存在するのか

お正月に炎上していた西武に続き、LOFTのバレンタインキャンペーンがインターネッツで絶賛炎上しています。そこで、「ネトフェミ」というものが広告を取り下げさせたということを書かれている方がいるのですが..

 

 最初は僕も「まあ広告だし批判を受ければ撤回するのは当然だよね」という考えの人間でしたが、今はもう「批判を受けようがあの広告は撤回すべきではなかった。広告を撤回させたネトフェミ共に、その声に安易に屈して広告を取り下げたLOFT、両方クソである」とすら思うようになっています。 

amamako.hateblo.jp

 

「ネトフェミ」って何ですかね?実在するんですかね?

 

 

 

このブログでLOFTのバレンタインキャンペーンと比較されているのがアメリカ・ジレットの広告です。

 

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この広告は素晴らしかったですよ。「ジレット」といえば、「マルボロ」みたいに、「男くさい」表現の広告を作ってきた。男性を型にはめる、ステレオタイプを作り出す側だった。それが、「男(人間)が得られる最高のもの」とはこれだったのか?と自問するところからCMは始まります。

 

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ステレオタイプな男性像をぶち破って出てくる若い男性たち

 

「今まで普通に行われてきたことはセクハラだったんだ」「性別なんて関係ない、人間として正しいことをしよう」というメッセージを打ち出したんです。

 

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”セクハラ行為”は公然のものとして行われてきた

 

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「男なら男らしく」という言葉は、今まで違う意味で使われてきた。でも、もうその時代に戻ることはない。なぜなら、我々は男性(人間)の最も素晴らしい部分を知っているからだ。

 

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女の子を気軽にナンパしようとするヤツがいたら、止めよう。気軽なナンパ、実は女子にめっちゃ嫌がられてますから。

 

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「男の子は喧嘩するものだ」なんて思い込みはやめよう。暴力じゃない方法で解決法を見つけよう。

 

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なぜなら、今の時代のこどもたちが見るものが、次の時代の男(人間)を作っていくのだから

 

っかーーー!!!!最高!!この広告が最高なのは、「男性」を「男性らしさ」という牢獄から解き放とうとしているからです。

 

フェミニストを嫌う男の人達は、フェミニストが「女性の権利を守るため」「女性の権利を男性から奪うため」に何かを言ったり行動しているのだと思っています。でもそうじゃないんです。

 

フェミニストは、

 

「女性も男性も関係なく」

「人間が人間らしくあるように」

「女性も男性も大人も子どもも動物も植物も地球も宇宙もみんながハッピーになれるように」

 

なったらいいなと思って、活動しているわけです。男の人が100持っているものをこっちに寄こせと主張しているわけではない。男の人が勝手に背負っているマイナス100を肩から下ろしたら、もしくはわたしがマイナス50を持って上げたら、楽になれるでしょ?そう言ってるわけです。

 

ジレットの広告には、保守的な男性から不買運動などのボイコットが起きたそうです。彼らは、女たちが「男から奪う」のだと思っている。でもフェミニストの本来の活動の真意は、男が楽になることで、女が楽になることで、大人も子どももみんなが幸せになれるという社会を作ることです。

 

「男らしさ」を疑えというような表現は、学者の議論やアートでさんざん描かれてきたことですが、しかしそのどれも、このジレットの広告のように、その表現を嫌がり、ボイコット運動まで起こすような、男らしさに囚われた男性にもとまで「誤配」されていくことはありませんでした。広告だからこそ、そういう表現を嫌がる=本当にその表現を届けるべき相手まで、届いていったのです。

「広告」こそが、見たくない現実を暴く力となる(LOFTバレンタイン広告について3) - あままこのブログ

 

その一方、LOFTの広告がどうだったのかというと、、

 

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「女子だけって落ち着く〜!」と表では言いながら...

 

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裏では髪を引っ張ったり、パンツ丸出しにしたり、いじわるなこともしちゃってるんだよ☆これがリアルな女の子ダヨ☆

 

みたいな、古臭いステレオタイプを強調するものでした。

 

これを見て、「あはは!正直〜!わかる〜!」と思う人が、どれだけいるのかマジで疑問です。「女の裏面はドロドロ!」なんて、ほんとコンビニコミックの世界ですよ。「リアリティある〜!」「毒があって面白〜い!」ってのは、たしかに80年代の感覚でしょうね、、それこそ、ジレットが否定してきたものですね。

 

 

 

 わたしは広告は嫌なら見なきゃいいので別にいいんですけど、ショッピングバッグ、さっき貼った表が仲良くしてる女の子で裏がつねりあってる女の子なんですよ。

 

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パンツ丸出しの女の子が描いてあるショッピングバッグ、普通に持ちたくないし人にもあげたくないよね、、

 

と、「ジレット」の広告と「LOFT」の広告は性質が違うものなのですが、「パンツ丸出しの女の子が描いてあるショッピングバッグは持ちたくないなあ」と思うこと自体が、「これが「広告」として届けられたからこそ、こういう表現を嫌がる人のところまで「誤配」されていった。」という狙いだとブログの方が描いています。

 

ジレットのボイコットが起きたのは、いままで作られてきた「男らしい」ステレオタイプの殻に守られてきた既得権の人たちが怒ったからです。いっぽうLOFTのほうは、「何十年も前の(コンビニコミックレベルの)ステレオタイプ」を打ち出し、「いやだなあ」と思われている。それなのに「良薬口に苦しなんだゾ!」と言われるのは、意味不明だなと思います。

 

ですが、当たり前のことですが、自分がハッピーになれる、心地よい甘言だけを聞いて生きていくことは、いけないことです。そうやってフィルターバブルの中に閉じこもり、自分と同じ考えの者同士で傷をなめあっているうちに、考え方はどんどん過激かつ狭量なものになっていくからです。 

「広告」こそが、見たくない現実を暴く力となる(LOFTバレンタイン広告について3) - あままこのブログ

 

そして、LOFTの広告を潰したのは「ネトフェミ」だと。果たして「ネトフェミ」は存在するのでしょうか。女性が「いやだと思ったもの」を「いやだと思いました」と言っただけで「良薬口に苦しだ!」と説教されているのではないでしょうか。それこそが、ジレットの広告の冒頭でやられている”無意識なセクハラ”なんじゃないかなと思いましたが、どうなんでしょう。

 

以上です。

 

お口直しのヨンスを置いておきます。

 

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KYOTO

はてなさん上場おめでとうございます。ということで京都のこと

 

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You can't find anything but Matcha tea flavour in KYOTO.

わたしはシンカンセンに乗ってキョウトにやって来た。キョウトは日本の西にある都市だ。かつては日本の首都だったこともある。千年以上にわたって栄える、長い歴史を持つまちだ。

日本は良いところだ。特に食べ物の充実ぶりはすばらしい。肉も魚も野菜も食材が豊富で、いずれも工夫された調理法をほどこし、洗練された味付けがされている。そしてとても健康的だ。おまけに値段も高くない。日本の食事であれば一生食べ続けてもいい、わたしはそう思った。するとキョウトの大学で働かないかと友人づてに話が来たので、わたしは喜んでそれを受け入れた。

キョウトに着いたのは寒い冬の日で、ひどい雨が降っていた。昨日降った雪のあとに雨が降り続き、道路がぐしゃぐしゃになっている。シンカンセンの駅を降りてまちに出てしばらく散策することにした。近代的なビルのすぐとなりに古いお寺があったりして、風情のあるまちなみがとても気に入った。

しかしわたしはある異変に気がついた。

食べ物のパッケージがすべて緑色なのである。普段見慣れたお菓子も、全て緑色に変わっている。日頃食べ慣れたキットカットきのこの山もアポロも、全てが緑色だ。これはいったいどうしたことなのだろう。そういえばキョウトでは景観を守るために、マクドナルドのサインが赤でなく落ち着いたブラウンになっていると聞いた。この食べ物たちもそういうことなのかもしれない。

わたしはコンビニエンスストアで好物のジャイアントカプリコを買い求め、店の外に出て食べた。日本では、たとえ自分が購入したものであっても、店内でものを食べると品がないといって怒られるのである。ジャイアントカプリコを口にしたわたしは、それが抹茶味なことに驚いた。パッケージが緑になっているだけではない。味も変わっているではないか。驚いて一緒に購入した水を飲んだら、それも抹茶味だった。なんてことだ。

食べられないとわかると、無性に食べたくなるものだ。わたしはお気に入りのいちご味を探し求め、キョウトのあらゆる店を回った。デパートから個人商店、自動販売機に至るまで、可能性がありそうなところを全て回ってみた。しかし、どこまでいってもそこには抹茶味のものしかなかった。走り回ってお腹が空いたのでファストフード店に入ってハンバーガーを頼んだ。値段は普通だったが、カウンターに店員が差し出したのは緑色のパッケージで、それもやっぱり抹茶味だった。付け合せのポテトにも緑色の粉が降りかかり、コーラも緑色でやっぱり抹茶の味なのである。

わたしはとんでもないところに来てしまったのかもしれない。

夕方、へとへとになったわたしは町外れにある駄菓子屋に入り、店番のばあさんに「いちご味のジャイアントカプリコはありませんか」と聞いた。ばあさんは耳が遠いようで、「はあ?!」と聞き返した。わたしは声を大きくして何度も繰り返し聞かなくてはならなかった。5回くらい叫んだところで、いままで半分居眠りしていたばあさんの眼光が突然鋭くなり、はっきりと言った。

「あんさん、外国の人やから知らんのやろ。このまえのダボス会議でな、法律が変わって、キョウトでは、抹茶味以外の食べ物を売るのが違法になりましたんや。キョウトには抹茶味でないものはあらしまへん。おばんざいもおせんもおまんも抹茶ですえ。かんにんしとぉくれやす」

なんということだ。ここにいたらわたしは抹茶味でないものが食べられないというのか。

「おばあさん、そんなのはいやです。わたしは、いちご味のジャイアントカプリコが食べたいのです」

ばあさんの眼がぎらりと光った。ばあさんは周りを見回すと、おもむろにわたしに顔を近づけ、押し殺した声で言った。

「仕方ない、そしたら教えてやるわ。明日、ヤミ市があります。場所は堀川団地の3号棟の一番北側ですえ。抹茶味でないものは、そこでしか買えまへん。警察もそこかしこにいてます。見つかったら捕まりますえ。牢屋にポンや。あんじょうやりなはれ」

わたしはばあさんに情報のお礼を渡し、そこを去った。このまちにいる限り、わたしはもう抹茶味のものしか食べられない...わたしは大学が借りてくれたアパートに向かった。足取りは重かった。途中入ったレストランも、やはり全てのものが抹茶味なのだった。

次の日、わたしは近所の喫茶店で出された抹茶味のトーストと抹茶味のジャム、抹茶味のゆでたまご、抹茶味のハムエッグというモーニングを見て天を仰いだ。絶望しかない。どうにかやりすごし、わずかな希望を求めて堀川団地に向かった。

団地は第二次世界大戦前に建てられたもので、かなり古く、いまはほとんど住む人もいない。植え込みには雑草が生い茂り、建物にはところどころにヒビが入っている。3号棟に行くと、周りをきょろきょろと見回しながら、足早に部屋に入っていく人を何人か見かけた。わたしも周りをきょろきょろと見回し、人気がないのを確認してその部屋のドアを開けた。

ドアを開けると、想像よりも広い空間が広がっていた。部屋をぶちぬいてワンフロアにしているのだ。そこの中には、ところ狭しとヤミ商人が抹茶味でない食品を拡げ、買い求める人がぎゅうぎゅうに入って押すな押すなの大盛況だった。わたしは人を押しのけながら商品を見て回った。ああここではキットカットも、アポロも、きのこの山も、すべてが緑色ではない普通のパッケージだ。

いちご味のカプリコは、市場の一番奥にある露天にあった。片目のない親父が後ろ暗そうなまなざしで無愛想に売っている。

カプリコください」

「1万円だよ」

カプリコが1万円?!なんということだ。普段の100倍近い。しかし気が弱いわたしは値切ることもできず、なけなしの1万円を親父に払った。にやりと笑う親父。わたしは恐ろしくなり、そそくさとヤミ市を後にした。

そうして手に入れたカプリコは、すこしパッケージがよれているものの、質はまったく問題なさそうだった。わたしは鴨川まで歩いて、土手に座った。周りにはカップルが等間隔で座っている。天気の良い日だ。太陽がまぶしい。わたしはカプリコをカバンから取り出し、パッケージをくるくるとむいた。夢にまで見たいちご味だ。いざ食べようと口に運んだところで、誰かがわたしの腕を掴んだ。

「警察だ。抹茶味でないものを食べた現行犯で逮捕する」

しまった、ついうれしくてばあさんの忠告を忘れていた。それにしてもこんなに簡単に見つかるなんて。

以上が今回の顛末だ。いま私はこれを留置所の中で書いている。もちろんここで出される食事もすべて抹茶味である。

BGM:矢野顕子「KYOTO[京都慕情]」